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Evergreen(音丸の90年代キャンプスタイル)

大好きな1980~1990年代初期のキャンプ道具に囲まれたサイトで過ごす幸せなひととき。

ボーイスカウトにおけるPDCA訓練実施の経緯と理由

   

ボーイスカウトにおけるPDCA訓練実施の経緯と理由

いやいや、やっぱりボーイスカウト・ネタは人気無いですね。PVがガクッと下がる…。

なので、もうちょっとボーイスカウト・ネタを続けます。(笑)


全くもって一般向きのハナシではないので、スルーしていただいて結構です。


さて、私が自隊でスカウト君たちにPDCA訓練を行なっていることはこれまでに何度か書いてきましたが、今回は進めてきた経緯と理由について書かせていただきます。



ボーイスカウト指導者とPDCA訓練


本来ボーイスカウトは自分たちでプログラム計画を立て、準備し、実行し、振り返りを行なうことになっていますが、『いかに子どもたちがPDCAサイクルを回せるようにするか』という具体的な方法に関しては、リーダーの研修所でも教えてくれません。

研修所の短い日程では、様々な事柄の具体的な手法を教えているだけの時間が無いんですね。

それを補うため、種々の“定形外訓練”というものがリーダー向けに行なわれていますが、私の記憶では、PDCAに関するものは一度もありません。

つまり、リーダーが独自で考え、行なわなければならないんですね。

そんなこともあってか、私の隊でも、キャンプを含め、ボーイスカウトのプログラムは全てリーダーが計画していました。



PDCA訓練・黎明期


そんななか、私がPDCA訓練に手を付けたのは2006年の春でした。

当時は確固とした目標も理想も無く、春季キャンプをスカウト君たちが計画・運営できたらいいなぁ…と思っただけでした。

ただ、これまでこういった経験が一切無い子どもたちに、いきなり2泊3日(当時は3泊4日だったかな?)のキャンプを全て計画しろというのはさすがに無理があるため、キャンプ二日目を班の自由活動日にし、どうやって過ごすか(どのようなプログラムを行なうか)を各班で計画・実行させることを隊長に提案、二つ返事で許可がもらえました。


ちょっと脱線しますが…

私は2004年の夏まではカブ隊の隊長でしたが、妻の余命が早くて1年…と告知された時点で隊長職を辞し、できるだけ妻と一緒にいてやるために休隊しました。

他界する2ヶ月ほど前、「あなたはやっぱりボーイスカウトをやっていたほうがいいから復帰して」と妻に言われ、ボーイ隊の副長として戻ったのが2005年の早春でした。


なぜ、こんなことを書いたかというと、2006年に始めた理由に関わってくるからです。

一つは、ボーイ隊のリーダーになってから一年経って勝手がわかってきたこと。

もう一つは、上級班長が私の娘、班長の一人が息子であることを始めとして、当時のボーイ隊スカウト全員が、私がカブ隊時代に指導してきた子どもたちで、気心が知れていて新しい取り組みを導入しやすかったからです。


事実すんなり受け入れてくれて、釣りをしたり、自転車に乗ったり、木で工作したり、おやつを調理したり、各班各様の活動をしました。

釣りをした班はサイトに戻って昼食を作る時間が無いので、朝、弁当を作って持って行きました。
(現在も伝統的に行なわれている、朝に朝食と昼食を作るという習慣はこの時から始まりました)

“自分たちのやりたいことをやって過ごす”というのはスカウト君たちに好評で、以後キャンプの二日目はこのパターンが続くことになります。



転機


そんな折、私のマインドを変える大きな出来事がありました。

2006年夏に行なわれた第14回日本ジャンボリー(14NJ)です。

ジャンボリー会場での野営が5泊6日、行きのバス泊、帰りの温泉泊を含めると6泊8日という長丁場でした。


石川県珠洲市から戻って解散式を終えた際、当時の原隊班長の一人がポツリとこうつぶやきました。

「あんまり面白くなかった」と…。


この言葉、私にとって非常にショックだったとともに、『申し訳ない…』という気持でいっぱいになりました。


彼はお客さんとして日本ジャンボリーというイベントに参加したんです。

だから「面白くなかった」という正直な感想が口をついて出た。

これが日本ジャンボリーに当事者として参加していれば、おそらく「面白くなかった」と思うことはなかったろう。
(“当事者”とはどういうことか?については先をお読みください)

だから“当事者”として送りだしてやれなかったことを申し訳ないと思いました。


この出来事が私のPDCA訓練最大の動機付けです。


1.班長は隊全体の運営に責任を持つ

2.次長は自班の生活面での責任者となり、班長の負担を軽減する

3.サイト・ディスプレイ(サイトデザインコンテストというのがあった。今もあるのかな?)、他団交流、各種設営等、スカウト全員が何らかの項目において担当者となる

等を骨子とした15NJ・5カ年計画を速攻で作成し、隊長に送りました。

コレが現在行なっているPDCA訓練の基ですね。



第一期黄金時代


14NJの苦い経験で明確な目標ができた私、“スカウトの、スカウトによる、スカウトのためのキャンプ”実現に向けて動きます。

班別活動日の計画に加え、翌2007年の春季キャンプ、夏季キャンプの全体スケジュールも班長たちに作らせます。


さらに2008年はスケジュールだけでなく、昨年の夏季キャンプ、今年の春季キャンプ、そして今回のキャンポリーのようにキャンプに関わる全ての項目を洗い出し、全ての項目に担当者を付け、計画・準備させました。

夏季キャンプにおける営火(キャンプファイア)のストーリィづくり、点火法等、運営の一切合財をボーイ隊で取り仕切ったのは、この時が初めてだったと思います。
(それまでは司会進行だけでした)


夏季キャンプが無事終わった際、班長の一人にどうだったか尋ねたところ、「全部自分たちでやることが凄く楽しかった!」と一言。

『あぁ、俺のやりたかったことが分かってくれた…』と非常に嬉しい瞬間でした。


そうなんです、リーダーが用意したキャンプにお客さんとして参加するのではなく、スカウトが当事者として自分たちでキャンプを作るほうに回れば、面白いとか面白くないとかいう次元を超越しちゃうんです。


実はこの2008年、状況的には決して恵まれたものではありませんでした。

なぜなら、最上級生(中学3年生)の3人が部活動や受験でほとんど参加できず、実質上、班長は中学2年生が務めていたからです。


ところが、不幸中の幸い、この中学2年生たちは人数が多いうえ、男女を問わず仲が良く、結束が固い。

一人二人が欠席ないしモチベーションが下がっていても、残りの連中が自然に引き上げちゃう。

そのうえ覚えが早い!


2006年の団夏季キャンプは14NJの事前訓練で先輩スカウトが全員不在、当時1年めだった彼らだけでキャンプしたのですが、それまでのキャンプで先輩が何をしていたかをしっかり見ていて、全ての事柄を完璧にこなしたのには驚きました。


当時手探りでどうやってキャンプの全てを計画・準備するかをグリーンバーに教えていた私にとって、彼らの理解力の高さ、結束の高さは非常にありがたいものでした。

当時彼らに渡していた資料を今見ると、あまりに漠然としていて不備が多く、恥ずかしくなります。

私の不完全な指導でもスカウト君たちが夏季キャンプの計画・準備・運営を見事にやりきったのは、正直、彼らに負うところが非常に大きいです。


そしてその翌年2009年の第16回栃木県キャンポリー。

この中学2年生たちが最上級生となり、キャンポリー参加計画・準備・運営を完璧にこなします。

しかも、連日の大雨で事前に立てていたスケジュールはメチャメチャ…。

にも関わらず、自発的にグリーンバーがさっと集まって協議、その場で変更スケジュールを決定して事態に対応します。


残念ながら私はこのキャンポリーには参加できなかったのですが、参加していた指導者からこの様子を聞き、彼らのあまりの成長ぶりに驚きました。



続かない…


これで私のPDCA訓練も一応の完成を見たと思われたのですが、そうはいきませんでした。

これが続かなかったんです。

翌2010年の最上級生は2人。先輩グリーンバーのように強力にリーダーシップを発揮するタイプではありませんでした。

先輩が偉大すぎて…というのもあったかもしれません。


この事態を予想して前の年から計画段階では会議に出席させて(巻き込んで)いたのですが、モチベーションは上がらず…。

私の進め方が未熟だったこともあり、最後まで“自分たちでやる”という点に魅力を感じてもらえませんでした。


そうこうするうちに私も仕事が忙しくなり、この夏の第15回日本ジャンボリー参加はおろか4年ほど普段の活動、春季・夏季キャンプにも参加できなくなります。


PDCAサイクル訓練は試行錯誤を繰り返しながら独自の方法で行なっていましたし、次の世代への引き継ぎが失敗したため、結局、この期間中にゼロへ戻ってしまいました。



PDCA訓練復活!!


私を取り巻く環境が変化し、継続して活動に出られるようになったため、昨2015年、PDCAサイクル訓練を復活させました。

手慣らしに春季キャンプは班別活動日の計画・準備だけでしたが、夏季キャンプは一気に全体の計画・準備・運営まで…。

私の進め方が以前よりも多少マシになったこともありますが、スカウト君たちの理解・吸収度が高く、『こいつらならイケる』と踏んだのが理由です。

その後の展開は過去エントリーをお読みいただいているのでおわかりですよね。



PDCA訓練を通して気付いたこと


1.スカウトに自主性が出ると、技能の習得率が上がります。

それまで何度教えても覚えが悪かった事柄が、自主性が出た途端、ほぼ一発で覚えます。

“教えられる”のではなく、自主性が出たせいで“身につけようとする”んですね。


2.小さな成功を経て“達成の悦び”を知ると、自主性が出てきます。

班別行動を計画・準備し、自分たちで行なうことの楽しみを知ったため、自主性が出て、春季・夏季キャンプ全体の計画・準備にもすぐに進めました。


3.“達成の悦び”が自信に繋がり、リーダーシップを発揮するようになります。

これは説明する必要はありませんね。


リーダーシップを発揮し、計画力・マネジメント力があり、技能的にも優れた班長は、班員の憧れ、目標となります。

尊敬する班長の指示に班員は素直に従いますよね。


ウッドバッジ研修所ボーイスカウト課程を終えて私が得た結論は、『リーダーの役目はカッコイイ(=凄い、尊敬できる)班長を作ること』でした。


PDCA訓練を行なうことで、ようやくそこに近づいてきた気がします。



最後に…


繰り返しますが、私はボーイスカウトにおけるPDCA訓練の実施法などといったものは教わったことがないので全て自己流です。

リーダーになってまだ15年くらいの洟垂れ小僧ですから、キャリアの長い先輩方の中には『おまえはいったい何をやってるんだ』と思われる方もいるかもしれません。


ただ一つだけ胸を張れるのは、私の指導・判断の拠り所は“スカウトのため”であるということです。


14NJにSHQ要員として参加した際、大人の事情や訳の分からない大人の常識、それも大したことのないメンツや慣例を優先し、スカウトをないがしろないし二の次にする場面にたくさん出遭いました。

その度
『あんたたちは一体何のためにスカウト運動をやってるんだ』
『あんたたちは一体誰のためにスカウト運動をやってるんだ』

と心の中で叫ぶことしきり。

遂には同じ班の、胸章・年功賞を山のように着けた大ベテラン他県指導者ともケンカしました。


普通なら人生の大先輩とケンカするようなことはしませんが、ただ、この時は私の言っていることのほうが絶対的に正しい。

なぜなら、私の主張は全て“スカウトのため”だから…。


例をあげますと…

14NJの際、私の所属する班は幸いにして暇だったので、当番時以外は原隊に居てもいいと班長から言われていました。

なので、隊長(この時はウチの隊長が派遣隊長でした)とよく話をする機会がありました。

その時に聞いたのですが、隊長会議の際、SHQスタッフ(野営管理だったかな?)から「どこかのバカが薪の入った袋を全部開けたので、バラバラに使われていてみっともない」という抗議があったそうです。

ちなみに、そのバカが私です。(笑)

でも、バカが袋を全て開けたのには理由があります。


14NJでは、薪は全て大きなPVCの袋に入れられ、口を縛られた状態で薪置き場に置かれていました。

灼熱の太陽が照りつけるなか、遮蔽物のない更地に…。


これ、相当なバカでもないかぎり、ちょっとでも考えれば、袋の中がどうなってるか想像がつきますよね?


心配になって開けてみたら、案の定、袋の中は凄い湿気で、薪の上のほうはカビていました。

こんな状態を続けていたら薪が湿気って使えませんから、たまたま通りかかった奉仕隊のベンチャースカウトに手伝ってもらい、全ての袋を開け、乾燥させるようにしました。


なんでこの話を例に出したのかお分かりになりますよね。

私が薪の袋を全て開けたのは“スカウトのため”であり、それ以外にはありません。


薪の袋が全て開き、周囲に薪が散乱しているのなら話は分からなくもありませんが、このSHQスタッフ(隊長会議に出ているくらいだから、どこぞの県連でもかなりの“お偉いさん”でしょう)は、端からキレイに一つずつ開けて使っていないから、つまり美観的に美しくないから止めろと言っている訳です。

この“お偉いさん”にとっては、湿った薪をスカウトに使わせるよりも美観が優先される訳ですね。


14NJではこんなバカげた話が山ほどあったのですが、書いているとどんどん本題から外れていくので止めます。



幸いなことにウチの団では、団委員長を始めとして、リーダー全員が“スカウトのために”という基本的スタンスがブレません。

なので、このPDCA訓練も最終的なゴールがハッキリしているため、例え手法が私独自のものであっても任せてもらえています。

“カタチ”ではなく“物事の本質”で判断してもらえる環境にいることは幸せですね。


駄文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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この記事へのコメント
>キルトさん

レス遅くなりまして申し訳ありません。

“フィルモント派遣”ですか!
本物の古強者ですね。
そんな方からコメントいただけるなんて顔から火が出る思いです。


私がウッドバッジ研修所に行った際、講師の方(叩き上げの年配の方です)が

「指導者の中には『ピラミッド構造の“上”に行けば偉い』と勘違いしてるヤツがいるが、実際は逆だ。

構造的には逆ピラミッド。

いちばん偉いのはスカウトで、私たち指導者はスカウトの成長をお手伝いしているにすぎない」

と言われていたことが最も印象に残りました。


残念ながら、仰るように、指導者の中には本来の目的から逸れたり、忘れているかと思われる人も見受けられます。

幸いにしてウチの団は自由闊達さが特徴のうえ、団委員長を始め、指導者全員が“スカウトの為”というラインからズレないので、このような指導ができています。

時代の流れでジャンボリーやキャンポリーはおろか、団キャンプや隊キャンプにも少人数で望まなければならない団が増えています。

来年の18TCは、派遣隊編成ではなく、原則的に原隊単位で参加という方針が示されていますが、現状に即した方針を取らないと、参加したくても参加できないスカウトが全国で大量発生してしまいます。

理想は分かりますが、昔と今では子どもたちを取り巻く社会事情は全く異なります。

日連も『誰のためか?』という視点に立ち返ることを強く希望します。

音丸音丸
2017年07月19日 12:15
1年近く前の記事にコメントって悩んだのですが・・・

ランタンについて調べていたら懐かしいフレーズを目にしました。
私はかれこれ25年以上前、旧名シニアスカウト時代にフィルモント派遣に行く程度にはボーイスカウト活動をしていました。が、失望し活動を辞めました。私の所属して居た隊で、良きリーダーであったはずの指導者がいつのまにか”お偉い[独裁者]さん”となり、隊や子供達を自分の妄執のごとき理想をかなえる為の道具としてしか扱わなくなったからでした。だから記事を読んだ時に懐かしい思いと共に、音丸さんが指導する子供達は幸せだな、と。40を超えた歳になり、思うことは「子供が笑って過ごせない世界になんの価値も無い」です。自己顕示欲を満たす為に子供を利用するようなクソ”お偉いさん”に負けないでください。子供達にとっての良き導き手が増えることを心から願います。
キルト
2017年06月30日 23:06
>あっこたん
コメントありがとうございます。

今はボーイスカウト/ガールスカウト人口も減少し、運営自体が厳しい団も多いようです。

また、学校や受験、スポーツ活動等、子どもたちを取り巻く環境も、年々厳しくなり、昔と同じように活動できなくなってきていることも事実です。

なので、一概に“指導者の問題”とは言い切れないのですよ。


私がこんなことをできるのも、ビーバー隊、カブ隊時代に大勢が入隊し、上進してくれているから、ボーイ隊に大勢が在籍しているからです。

これが2、3人だったら、残念ながら極めて難しいでしょう。


それと、隊長を始めとしたボーイ隊指導者、そして団委員長が私の試みを認め、自由にやらせてくれている環境があります。

これが、隊長や団委員長が、私の考え方とは相容れなかったら、実行は不可能です。


私は様々な点で非常に恵まれているんです。

そしてそのことについて天に感謝しています。

音丸音丸
2016年09月05日 17:34
ボーイ(ガール)スカウト、協調性や自主性が培える
とても良い団体だと想像してたのですが、
近所のガールスカウトはどれも過保護で有名で、
キャンプは少ない、親の出番は多い、と
聞くので入れたいと思えなくなってしまいました。。

音丸さんのような指導者がいてくださるならなー…
指導者って大事だと改めて気づかされた記事でした。

あっこたんあっこたん
2016年09月05日 16:49
>たいちちさん

そうなんですよ。

どれくらい「何の為か、誰の為か」で愚痴をこぼしたことか…。(^-^;;;

初心を忘れちゃう人がそれだけ多いんでしょうね。

音丸音丸
2016年08月31日 12:48
偉くなっちゃうと本質が見えなくなるんでしょうか。

最近の言葉でいう老害に近いものがありますが、年齢は関係ないですよね。

音丸さんが言われるとおり、「何の為か、誰の為か」原点に立ち返り考えることが重要だと思います。

たいちちたいちち
2016年08月30日 19:32
>yan-iさん
普通のファミリーキャンパーさんには全く関係ないネタにお付き合いいただきありがとうございます。
おまけにコメントまで…。(^-^;;;

“指導者批判”となると問題になりそうなんですが、事実だから仕方ないです。(>_<)

長年リーダーを務めていると『自分はエライ』と勘違いしてくる人も出てくるようで…。

地区、県連、日連といった階層組織になっているので、中には“変な上昇志向”を持った人もいるんですよね。

ボーイスカウトのリーダーなんてちっとも偉くなんか無いんですよ。
単に“子どもたちの成長のお手伝い”をさせていただいているだけなんですから…。

音丸音丸
2016年08月16日 11:14
おはようございます。

興味深く読ませていただきました。
ボーイスカウトの中での大人の事情・・・
やはり、やりにくいことも多々あるのですね。

でも、私は音丸さんの考え方、大賛成です!

今後も安全最優先の上で
“スカウトのため”
でいいと思います。

PVの下がる、ボーイスカウト・ネタ、最後まで読んじゃいました。

yan-iyan-i
2016年08月16日 05:06
>funaさん

はじめまして。

長文を最後までお読みいただき、コメントまでいただきありがとうございます。

途中で訓練に参加できなくなり、その間全く指導できなかった子どもたちには申し訳ないと思っています。

今度は、私が途中で参加できなくなってもコレがちゃんと機能するよう引き継ぎ体制を構築することが私の課題です。

音丸音丸
2016年08月14日 10:33
初めまして。
ナチュログの新着情報を眺めていましたら、ボーイスカウトというタイトルがあり、拝見させていただきました。

遠い記憶になりますが、自分はカブ・ボーイスカウトに所属していました。
自分が所属していた時に、育丸さんのような方が隊長であれば、もっとボーイを続けていたかもと感じていました。

「スカウトのために」というスタンスは非常に共感します。
funa
2016年08月14日 02:30
 
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ボーイスカウトにおけるPDCA訓練実施の経緯と理由
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